【ランキング】デビュー20周年で振り返る棚橋弘至歴代ライバルトップテン

     
     

ザ・レスラー
第3位:柴田勝頼

■ストーリー

1999年10月10日に棚橋と同じ日にプロレスラーとしてデビューをした柴田勝頼。
新日本プロレスが低迷し厳しい状態にあった中、次世代を担う若手選手として棚橋弘至、中邑真輔、柴田勝頼の3名は新闘魂三銃士としてクローズアップされていた。

新闘魂三銃士として3名セットで取り扱われていたことに対して柴田自身は「俺を新三銃士で括るな」とその売り出し方を拒絶。結局3人は噛み合わないまま新闘魂三銃士は自然消滅。
そして2005年、幾度にもわたる契約交渉が決裂し柴田は新日本プロレスを退団。
後に「やめることが新日本だった」と当時の事を柴田は振り返っている。

そして月日は流れ7年後の2012年。G1クライマックス決勝戦が行われる両国国技館に桜庭和志と共に突如として姿を現し「喧嘩、売りにきました」とリング上で宣戦布告。

柴田の新日本プロレスへの参戦に対して苦しい時代を支え続けてきた生え抜きの選手たちは強烈なアレルギー反応を示す。
門番的存在の真壁刀義との抗争、高校時代の同級生後藤洋央紀との一騎打ちなど因縁の相手との闘いをへて遂に同期の棚橋へと辿り着く。

新日本のリングに復帰した柴田は「プロレスが楽しくなってきた」と発言。その発言に対して「どの口が言ってんのか知らないけどさ、寝言は寝てから言えっつんだコラ!」と普段穏やかな性格の棚橋にしては珍しく怒りの感情を爆発させる。

そして2014年のG1クライマックス公式戦で両者は激突する。
試合は変形式のG2SからのPKを炸裂させた柴田が勝利。試合後のバックステージで棚橋は「この10年間は無駄だったのか…色んなものを犠牲にしてきたつもりだったけど、勝たなきゃ意味ないよね…」と悔しさを露にし、対する柴田は「俺がいない10年しっかり受け止めました。」とコメント。

同年9月、神戸大会で再び棚橋と柴田のシングルマッチが行われる。
G1公式戦で敗れている棚橋は負けることが許されない。試合は激しさを極めていき、渾身のハイフライフローで棚橋がリベンジに成功した。
試合後、棚橋と柴田はお互い歩み寄りリングの中央で接近。
一色触発かと思われたが何だか雰囲気が違う。
柴田が棚橋に向かってこう言った。

「これは本音なんだけど俺がいない間…新日本を守ってくれてありがとう」

この柴田からの感謝の言葉に棚橋はリング上で涙を隠すことができなかった。
そして固い握手を交わし両者の10年間に及ぶ遺恨は清算された。

2017年4月にIWGPヘビー級タイトルマッチの後に急性硬膜下血種と診断され緊急手術。
一時は命の危険、助かっても障害が残ると囁かれていたが同年8月のG1クライマックス決勝戦の行われる両国国技館に自らの足で歩き姿を現し「生きてます!以上!」と一言だけファンに伝えてその場をあとにした。

翌年2018年、“喧嘩を売りに来た2012年”“生存報告をした2017年”に続き長期欠場中の柴田は三度G1クライマックス決勝戦の日にファンの前に姿を現す。
それは決勝戦のリングに上がる棚橋のセコンドとしてだった。

飯伏幸太との死闘を制し優勝を果たした棚橋を柴田が肩車しその喜びを分かち合う。

新日本プロレスが厳しい状況にある中で発生した当時の因縁。
しかしその因縁が解消され今は同じ方向を向いている両者。

同じ日にデビューを果たした同期2人での歓喜は多くのファンの感情を揺さぶった。

■選考理由

柴田勝頼をこの順位に選定する事に対して異論はないないだろうと思っている。
柴田が退団した当時は他にも主力選手が相次いで新日本プロレスを離脱していった。
そして2016年、相次ぐ主力選手たちの移籍が発生した。
「筆者はまたあの時と同じになってしまうのか!?」と危機感を抱いていた。

ファンが不安を抱えて迎えた新日本プロレス旗揚げ記念大会。
新日本復帰後はずっとフリーランスとして参戦していた柴田だったが離脱者が相次いだ現状に対してリング上でファンに向かってこう宣言をする。

「今年に入ってからサヨナラが多すぎる。お別れを言いに来てるんじゃないと思う。だから俺はここで闘う約束したいと思います。」

“やめることが新日本だった”と語っていた男が今度は逆に新日本プロレスの窮地に対して入団を決意した。この男気が本当に嬉しかったのを今でも鮮明に覚えている。

急性硬膜下血種で長期欠場の中、サプライズで会場に姿を現した際は涙が止まらなかった。

2012年大量のブーイングを浴びながら喧嘩を売りに来た時と同じG1決勝戦の日の両国で、今度はファン全員から涙の祝福を受けるこの男は、それだけ見るものを熱くする魅力が詰まっているという事。

この記事はデビュー20周年の棚橋弘至にフォーカスしたものではあるが同じく柴田勝頼もデビュー20周年である。

柴田勝頼も筆者の中では非常に大きな存在であり、棚橋弘至を語る上では欠かせない存在である。

レインメーカー
第2位:オカダカズチカ

■ストーリー

当時の新日本プロレスは誰がどう考えても”棚橋1強”の時代。

2012年1月東京ドーム大会でIWGPヘビー級王座の連続防衛新記録の11を成し遂げた棚橋。
11度目の防衛を成し遂げた棚橋の前に一人の男が現れる。

「棚橋さん、お疲れ様でした。これからは逸材に代わってレインメーカーが新日本プロレス引っ張っていきますので、お疲れ様でした。」

2年前、棚橋を相手に壮行試合を行い海外武者修行へ旅立ち、その日帰国したばかりの24歳のオカダカズチカだった。

棚橋の新記録樹立達成の歓喜に沸く場内は大きなブーイングに包まれた。
“どこぞの若造が上がってきたんだ!?”“レインメーカーって何!?”“金の雨!?”“棚橋がいるから!”当時のファンは皆そう思っていた。

あの試合を見る時までは…

2012年2月の大阪大会で組まれることとなった棚橋12度目の防衛戦。
どうせ海外武者修行から帰国したばかりの24歳の若者を、新記録を築き上げた王者がその圧倒的な強さで勝利してしまう。防衛記録はどこまで伸びるのか。13度目の防衛戦の相手は誰だろう。場内のファンは皆そう思っていた。しかし、場内は驚きの歓声と悲鳴に包まれる。

オカダの必殺技レインメーカーが棚橋の首をとらえ、まさかのカウント3。

IWGP棚橋政権は唐突に終わりを迎え、そして金の雨を降らせる男レインメーカーの時代が幕を開けた。

棚橋を撃破したオカダは急激な速度でファンの支持を獲得していく。20代中盤の若者で顔もイケメン、身長190センチ以上、身体能力は軽量級の選手に引けを取らない跳躍力、そして何といっても強かった。

内藤、後藤、と先輩レスラーを次々と倒し王座を防衛。
同年6月の大阪大会で棚橋がオカダへ挑戦表明。このリベンジマッチでハイフライフローを喰らったオカダは防衛に失敗。棚橋の意地がここでは上回った。

しかしオカダの勢いはベルトを失っても衰えることは無かった。
同年G1クライマックスを初出場で初優勝。最年少優勝記録というオマケつき。
翌年の東京ドーム大会で棚橋に奪われたIWGPヘビー級へ挑戦する運びとなる。

迎えた2013年1月4日東京ドーム大会。
3度目となる棚橋VSオカダのIWGPヘビー級選手権試合。
ここは棚橋がハイフライフローを連発しオカダの挑戦を退けた。

だが、オカダはまたもや棚橋の前に姿を現すことになる。

同年のニュージャパンカップを初出場で初優勝。IWGPヘビー級への挑戦権を獲得。
そして4度目となる棚橋VSオカダのIWGPヘビー級選手権試合が行われた。
オカダの必殺技レインメーカーが棚橋に炸裂し、東京ドーム大会での敗戦のリベンジを果たしIWGP王者に返り咲く。

同年G1クライマックス公式戦で棚橋とオカダは通算6度目の対戦を迎える。
結局30分時間切れ引き分けに終わり試合の決着は付かなかった。

G1クライマックス公式戦で決着しなかった勝負の答えを出すために棚橋がオカダのIWGP王座へ挑戦を表明。10月の両国国技館大会においてタイトルマッチが決定した。
通算7度目の対戦。そして5度目のIWGPヘビー級選手権試合。
棚橋は負けたら無期限でIWGPヘビー級戦線からの撤退を表明し背水の陣で臨んだ。
しかしオカダのレインメーカーにより無念にも棚橋の挑戦は失敗。
試合後「さらばだ、IWGP…」と言葉を残し棚橋はその後しばらくの間、IWGPヘビー級戦線から退くこととなる。

それから1年の月日が経ちオカダは参戦中だったAJスタイルズに敗れ王座陥落。
そのAJスタイルズから逆指名される形で棚橋がタイトルマッチに挑む。
そして棚橋はAJを破りIWGPヘビー級王座を獲得。棚橋政権の復活である。
そんな状況にオカダが黙っているわけがない。

同年のG1クライマックスで2度目の優勝を果たしたオカダは2015年東京ドーム大会で棚橋の持つIWGPヘビー級王座へと挑戦。通算8度目の対戦。そして6度目のIWGPヘビー級選手権試合。僅か2年間の間で6度も同じ対戦カードが組まれたのは非常にまれなケースである。
試合は棚橋のハイフライフローに屈しオカダの挑戦は失敗に終わる。
試合に敗れたオカダは帰りの花道で大粒の涙を流し悔しさを露にするのであった。

2015年2月に棚橋はAJスタイルズを相手に大流血の後に敗れIWGP王座陥落。
王座を獲得したAJスタイルズにオカダが挑戦表明。7月に行われた大阪城ホール大会でレインメーカーを炸裂させ昨年のリベンジを果たし3度目のIWGP王座を獲得。

同年のG1クライマックスを優勝した棚橋の挑戦を受ける形で2016年1月の東京ドーム大会において通算9度目の対戦で7度目となる両者のIWGPヘビー級選手権試合が行われる。
1年前の東京ドームとは全くの逆の構図で行われたこの試合。
試合に敗れて涙を流し花道をあとにした1年前の悔しさとうっ憤を晴らすかのようにオカダが棚橋を返り討ちにし防衛に成功する。

同年のG1クライマックス公式戦で通算10度目の対戦。
30分時間切れ引き分けとなり決着は付かなかった。

その後のオカダはIWGP戦線で中心人物となり多くの強敵を倒し続け、防衛の山を築く。

2018年1月東京ドーム大会でV9、2月にV10、4月にV11…橋本真也、永田裕志の記録と棚橋のV11にも並ぶ記録を打ち立てる。
そしてV12となる試合の挑戦者として棚橋はオカダの前に姿を現し「世界中探しても、次の挑戦者、俺しかいねぇじゃん!」と挑戦をアピールした。

約2年半ぶりに組まれた棚橋VSオカダのIWGPヘビー級選手権試合。
通算11度目の対戦で8度目となるタイトルマッチは2018年5月に行われた。
2011年に棚橋が成し遂げた連続防衛新記録。その試合の後に挑戦表明したオカダ。
棚橋のV12を阻止したオカダ。しかし棚橋はオカダのV12を阻止することはできなかった。
立ちはだかる棚橋をオカダはレインメーカーで退けた。IWGPヘビー級連続防衛新記録12を打ち立てた。
だがしかしオカダはその直後6月の大阪城ホール大会でケニーオメガを相手に13度目の防衛に失敗し王座を奪われてしまう。

その年のG1クライマックス公式戦で通算12度目の対戦となる棚橋とオカダの試合。
やはり試合時間30分では時間が足らず3度目の引き分け。
この試合で勝ち点1をもぎ取った棚橋はその後決勝戦へ進出し優勝を果たしIWGPヘビー級への挑戦権利証を獲得した。

挑戦権利証を獲得した棚橋はその権利証争奪戦の対戦相手として公式戦で引き分けに終わったオカダを指名。通算13度目の対戦は初めての挑戦権利証争奪戦という構図。
対オカダ戦を暫く勝てていなかった棚橋が渾身のハイフライフロー連発でオカダに快勝し挑戦権利を保持した。

その年のオカダは新記録を樹立した後、その反動が来たかのようにスランプに陥る。
王座陥落、G1優勝を逃し、権利証も獲得できず、更には率いるユニットCHAOSに加入したばかりの外国人選手ジェイ・ホワイトの裏切りにも合う。

オカダを裏切ったジェイホワイトは棚橋にも同時に宣戦布告し10月に行われた権利証争奪戦で棚橋に敗れたジェイは試合終了後、棚橋を暴行。
極悪非道な手段で棚橋を追い詰めていく。
その時、棚橋のピンチにオカダが駆けつけた。

同月に開催された後楽園ホール大会でジェイが加入したBULLET CLUBの暴行にあうオカダのピンチに今度は棚橋が駆けつけて救出する。

これまでずっと対角線上で対峙し続けてきた両者だったがこれをきっかけにリング上で握手を交わす。

共闘を宣言するとともに歴史的なタッグチームが結成されたのであった。

■選考理由

2019年のG1クライマックス公式戦でオカダが棚橋に勝利し通算の対戦戦績は棚橋の14戦5勝6敗3分けとオカダが一歩リードしている。
近年ずっと棚橋の前に立ち続けているオカダカズチカ。
これまで棚橋が苦しい状況にあった新日本プロレスを支えてきた人物であるとするならば、オカダはその新日本を新しいステージに押し上げた人物と言える。

年齢では棚橋の方が11歳年上で支持層も一定の違いが見られる両者。

非常に棚橋推しが強い筆者としては帰国後のオカダの存在はずっと脅威に感じていた。
棚橋時代が終わってしまうのでは!?という危機感が常にあった。

抜群の身体能力に端正な顔立ち。そして誰もが認めるその強さ。
世代交代というのはこうやって起こるのかというのをまざまざと感じさせる存在。

棚橋が永田のV10記録を破って棚橋時代を築いた当時、永田支持層はこんな気持ちだったのかと今になって痛感している。

棚橋のV12をオカダが阻止。オカダのV12の相手が棚橋という巡り合わせは何とも表現し難い。

まだまだ棚橋弘至は終わってはいないと思っているがオカダの時代が始まっていることも紛れもない事実。

これだけ棚橋を苦しめてきた存在だからこそ、これから先の10年間、新日本プロレスを支えていく中心人物として君臨し続けてもらいたい。

リング上で愛を叫ぶ棚橋に対し、金を降らせるオカダ。

読者の皆様は、愛とお金、どちらが大切だろうか?

キングオブストロングスタイル
第1位:中邑真輔

■ストーリー

2人の関係性は何て事無くよくある先輩後輩の関係性からスタートした。
2002年、棚橋よりも3年後輩としてデビューした中邑真輔の年齢は棚橋より4つ年下。

しかし唯一といって最大の棚橋との違いとは会社からの期待値の高さだろう。

通常新人レスラーは地方大会の1試合目か2試合目にほぼキャリアの変わらない先輩、もしくは同期を相手にデビューするのが慣例。その習わしは当時も今も変わっていない。
しかし中邑は日本武道館大会という大舞台の第7試合にデビュー戦が組まれていた。

当時の新日本プロレスは台頭してきた格闘技ブームに対抗するべく格闘技路線でも闘える選手の育成に舵を切っていた。そんな時、学生時代にアマレスで名をあげていた中邑に白羽の矢が立った。因みに棚橋は学生時代プロレス同好会に所属していた。
比較すればエリートと雑草並みの違いがある。

そんな鳴り物入りのゴールデンルーキー中邑真輔が後に棚橋弘至という存在を語るにおいて欠かせない存在となっていく。

2003年12月、デビューから僅か2年も経たない中邑は当時のIWGPヘビー級王者天山へ挑戦。
こんなにキャリアの浅い選手が新日本プロレスの至宝に挑戦するという事もまた異例。
そしてその試合で中邑は天山から勝利し若干23歳という若さでIWGPヘビー級王座に輝く。
この最年少記録は今でも破られていない。
格闘技の試合でも活躍し、あっという間に新日本プロレスの頂点へと駆け上がった中邑は当時「選ばれし神の子」とまで表現されていた。

厳しい経営状態が続いた新日本プロレスでは棚橋、中邑、柴田の3名が”新闘魂三銃士”と呼ばれていた。2004年棚橋&中邑組でIWGPタッグ王座を獲得し4度の防衛を果たすなど活躍を見せた。しかし新闘魂三銃士という括りに拒絶反応が強かった柴田は2005年に新日本プロレスを退団してしまう。

中邑と棚橋の初対決は2005年1月4日東京ドーム大会。
30歳以下の選手が争うU-30無差別級選手権の王者だった棚橋のベルトに中邑が挑戦する試合。
この初対決を制したの後輩である中邑だった。そして中邑はU-30ベルトの封印を宣言する。
同年8月のG1クライマックス公式戦で2人は再戦。しかしここでも中邑に軍配が上がる。
棚橋は後輩の中邑に2連敗を喫した。

その後中邑は外敵との対戦や、海外遠征などを経験して更にその存在感を大きくしていく。

棚橋が中邑から初勝利を収めたのは2006年G1クライマックス公式戦。
ドラゴンスープレックスホールドを決めて先を行く後輩であった中邑から初勝利をもぎ取る。

時の王者ブロックレスナーのドタキャンにより空位となったIWGPヘビー級王座をかけて行われたトーナメントを棚橋は優勝し、中邑に遅れる事3年、悲願のIWGPヘビー級ベルトを手にする。

そして同年12月に棚橋が獲得したIWGPヘビー級王座に中邑が挑戦。
再びドラゴンスープレックスで勝利し防衛に成功した。
試合後に棚橋は「中邑真輔はライバルです。この先10年以上闘い続けます。」と宣言。
後輩で出世が早く嫉妬の対象だった中邑をライバルとして認めたのである。

5度目の対戦は2007年G1クライマックス公式戦。
この試合は30分時間切れ引き分けに終わる。

6度目の対戦となった2008年1月の東京ドーム大会。
ここでは後藤洋央紀との歴史的一戦を制したIWGPヘビー級王者棚橋に中邑が挑戦。
超危険な大技“雪崩式”ランドスライドを繰り出した中邑が棚橋に勝利。
通算対戦成績を中邑の3勝2敗1分けとした。

そのリマッチとして棚橋は同年3月の後楽園ホール大会で中邑に挑戦するものの返り討ちに合い中邑の王座防衛。中邑が連勝し7度目の直接対決を制した。
しかし4月に行われた両国国技館大会において全日本プロレスの武藤敬司に敗戦し他団体へベルト流出を許してしまう。

2009年1月の東京ドーム大会でその武藤に棚橋が挑戦表明。
かつて付き人として仕えた偉大なる先輩武藤にハイフライフローを決め棚橋が勝利。
IWGPヘビー級王座に返り咲くと「中邑―!新日本のな、エースはな、一人でいいんだよ!」と叫び次の挑戦者として元王者中邑を指名する。

2月の両国大会でIWGPヘビー級王座をかけて8度目の対戦。この試合は必殺のハイフライフローを決めた棚橋が防衛に成功し対中邑戦の連敗をストップさせる。

同年8月のG1クライマックス公式戦で9度目のシングルマッチを行った両者は中邑の新技ボマイェ(相手の顔面への膝蹴り)が棚橋に炸裂。またこの試合で棚橋は顔面を骨折し欠場を余儀なくされ、保持していたIWGPヘビー級王座も返上することとなる。

棚橋が返上したIWGPベルトは真壁刀義と中邑によっての王者決定戦という形で争われることとなった。この試合を勝利したのは中邑。3度目となるIWGP王座へ輝く。
この試合を勝利した中邑はリング上で「猪木―!」と絶叫。過去との闘いをテーマに掲げる。
そんな中邑を棚橋は「ストロングスタイルの呪いにかかっている」と揶揄する。

この頃から棚橋と中邑のプロレスに対する考え方は大きく異なっていき「過去は美化されている。過去を超えるのではなく新しいものを魅せていけばいい。」という棚橋と、「過去を超えて新たなものを創造する。」という中邑とのイデオロギー闘争は激化していった。

ケガから復帰した棚橋は王者に返り咲いたに中邑に宣戦布告。
「U-30でも巻いてろ。」とあしらう中邑に対して「さっさと挑戦受けろ。暫定王者!」と棚橋はやり返す。
そして11月に行われた両国国技館大会で迎えた通算10度目の両者の対戦はIWGPヘビー級選手権試合。
互いのイデオロギーをぶつけ合ったこの試合は中邑がボマイェで勝利し王座を防衛した。

その後しばらくの間、棚橋と中邑の直接的な闘いは行われないまま時は経過していった。

およそ1年半ぶりの対戦となった通算11度目の対戦は2011年5月。
永田裕志を相手にIWGPヘビー級王座を防衛した棚橋へ宣戦布告した中邑が挑戦。
この試合は棚橋がハイフライフローで王座を防衛し2年ぶりに中邑から勝利を収める。

この年のG1クライマックスを中邑が初優勝。優勝の勢いそのままにIWGP王者に棚橋へと挑戦表明。通算12度目の対戦はIWGPヘビー級選手権試合となった。
この試合は棚橋がハイフライフロール(ハイフライフローから丸め込む変形技)を決めて王座防衛。
またこの試合で棚橋は中邑の蹴りを顔面に喰らい前歯が折れるというアクシデントに見舞われる。これで2度目となる中邑の蹴りによる顔面の怪我であった。

一方この頃の中邑はレスラーとしてのスタイルがどんどん変化していく時期であった。
“クネクネしている”と棚橋に表現されるような柔軟な身のこなしに、マイケル・ジャクソンを彷彿とさせる入場コスチューム、ファイトスタイルも膝蹴りを中心としたもの闘い方に変貌を遂げ、イヤァオ!!と叫び感情を表現。
その独特な出で立ちと雰囲気は他に類を見ない異彩を放ち、一部からは“アーティスト”とまで呼ばれるようになっていく。

そんな中邑が標的にしたのがIWGPヘビー級王座ではなく、IWGPインターコンチネンタル王座であった。2012年に海外戦略用に新設されたそのベルトに興味を示した中邑は同期の後藤を撃破し王座獲得。獲得したそのベルトを「10円玉みたいでダサい」と言い、デザインを一新させ真っ白なベルトへと変更させる。
白いIWGPを手にした中邑はその後そのベルトの代名詞的な存在となっていく。

かつての新日本プロレスを苦しめた総合格闘技の盟主グレイシー一族を相手にした防衛戦、柴田勝頼と共に参戦した桜庭和志、メキシコの国民的スターであるラ・ソンブラなど、個性的な相手を次々と倒しベルトの価値を高めていった。

一方その頃の棚橋は新たに表れた宿敵オカダカズチカとの抗争が激化していた。
2013年10月の両国国技館大会でオカダに敗れた棚橋は「さらばだ…IWGP」と言い残しIWGPヘビー級戦線から撤退。今後の動向が注目されていた。

そして、”白いIWGP”インターコンチネンタル王座の防衛を重ねていた中邑が動く。

2013年11月、インターコンチネンタル選手権試合に勝利し王座防衛に成功した中邑はリング上でこう発言する。

「輝いてんだろ?このベルト。だけど、ほんの少し、あとちょっとだけ光が欲しいね。とっておきのカード引いちゃおっかなー。タ・ナ・ハ・シ!棚橋!棚橋!棚橋!」

IWGPヘビー級とは別の価値観を創造していた中邑がIWGPヘビー級とイコールとも取れる存在であるライバル棚橋をリングに呼び込んだのであった。

呼び込まれリングに上がった棚橋は「久しぶり」と返答。
2011年の対戦からおよそ2年半という時が流れていた。

翌年2014年1月の東京ドーム大会はオカダVS内藤のIWGPヘビー級選手権と、中邑VS棚橋のIWGPインターコンチネンタル選手権どちらの試合がメインイベントとして行われるのかファン投票により決定された。
投票結果はダブルスコアで中邑VS棚橋。
新日本プロレスの一時代を築いてきた2名による新たなIWGP戦が多くのファンの支持を集めた。

2年半ぶりの対戦となった棚橋と中邑の一騎打ち。通算13度目の対戦。
この試合はテキサスクローバーホールドからスタイルズクラッシュを決めた棚橋がハイフライフローを放ち中邑から王座奪取。棚橋は初めてインターコンチネンタル王座を獲得した。

失ったベルトを取り戻すべく中邑はその後2度棚橋に挑戦し、2014年4月の両国国技館大会で棚橋を破り王座奪還。ここまでの両者の戦績は全15戦7勝7敗1分と完全な五分となった。

2014年G1クライマックス公式戦で中邑と通算16度目の対戦。中邑必殺のボマイェを交わして丸め込み技を繰り出した棚橋が勝利し棚橋が対戦成績で一歩リードした。

2015年のG1クライマックスはAJスタイルズに勝利した棚橋が、Bブロックはオカダカズチカに勝利した中邑がそれぞれ決勝進出を決める。
過去幾度となく激戦を行ってきたこの2名によるG1決勝戦で対決は初めてであった。
G1クライマックス25回目の節目となる大会に相応しい新日本プロレスの黄金カードが実現した。
この試合の棚橋は中邑のボマイェを喰らっても立ち上がった。そしてトップコーナーに掴まる中邑の上からハイフライフローを敢行し、ドラゴンスープレックスホールドからのハイフライフロー2連発のフルコースで中邑を沈め8年振り2度目となるG1優勝を手にした。

30分を超える死闘を終えた両者はリング上で握手を交わすと中邑が棚橋の手を大きく上に掲げライバルの勝利を称えた。

これまで新日本プロレスの時代を築き上げてきたこの2名のストーリーは突然途切れることとなる。

2016年1月に中邑真輔の新日本プロレス退団が発表されたのだ。

同月の東京ドーム大会でAJスタイルズに勝利しインターコンチネンタル王座を防衛した中邑はバックステージでこの様にコメント。
「世界、世界ですね。自分の思う、自分の目指す更なる高み、ステージ、それを目指して生きていきたいと思ってます。」
東京ドーム大会終了後間もなくして世界最大のプロレス団体アメリカWWEへの移籍が報道された。

中邑の退団を受けてインターコンチネンタル王座へ返上され、2016年1月30日後楽園ホール大会において新日本プロレスラストマッチとなる壮行試合が行われた。

試合後、BULLET CLUBからAJスタイルズを追放したケニーオメガがリングへ上がり
「お前は俺が怖いから新日本を辞めるんだろ?」と挑発し、返上されたインターコンチネンタル王座獲得へ名乗りを上げる。

そんな時だった。
試合後まだリング上に残りその様子を見ていた棚橋はケニーオメガと中邑の間に割って入り「シャラーップ!!」と一喝。

「寂しいけどな、中邑は、今日がラストマッチなんだ。だからインターコンチ、俺しかいねぇだろ!」とライバルの代名詞ともいえるIWGPインターコンチネンタル王座戦へと名乗りを上げた。

共に同じ時代を築き、新日本プロレス暗黒時代を駆け抜け、新時代を切り開くべく闘い続けてきた終生のライバルである棚橋弘至の肩に中邑はそっと手を置き、新日本プロレスを旅立つこととなった。

■選考理由

これは誰しもが認める1位である事は疑いようもない。

棚橋弘至のライバル10名を選抜する際に2位以降の選手の並びは考えたが1位については中邑真輔以外有りえなかった。

筆者が新日本プロレスを見る様になってからずっと中邑は棚橋と共にずっと中心人物だった。
この2名がいなければ今の新日本プロレスは存在していない。そういっても過言ではない程大きな存在である。

元々、IWGPヘビー級至上主義を掲げそれ以外のベルト(NWF、U-30など)を封印していった中邑が到達した答えがIWGPヘビー級を超える価値の創造。そしてインターコンチネンタル王座の価値を高めていった。

中邑が「光」と表現した棚橋の存在。新進気鋭のオカダによってIWGPヘビー級戦線からの撤退を余儀なくされた棚橋にとってもインターコンチネンタル王座と中邑の存在は当時間違いなく「光」だった。

中邑が新日本プロレスを退団すると決まった時、筆者はその感情をうまくコントロールすることができず酒に走った程ショックが大きかった。
壮行試合は煽りVTRから大会終了までずっと涙が止まらなかった。
その試合はいつ見ても感情が高ぶり涙腺が緩む。

2015年のG1決勝戦の棚橋VS中邑は筆者自身の生涯におけるベストバウトで、今となってはあの試合を現地で観戦できたことをファンとして誇りに思っている。

結局、中邑退団後に棚橋がインターコンチネンタル王座を獲得するには1年以上の時間がかかってしまった。

当時インターコンチネンタル王者だった内藤哲也がベルトを破壊する行為に及んでいた時、怒った棚橋は内藤を制裁しおよそ2年振りにインターコンチネンタル王座に輝く。
ベルトを漸く掴んだその試合で棚橋は中邑を彷彿とさせるムーブを試合中に披露する。
試合後のコメントでその意図を質問された棚橋はこう答えた。

「かつてあれほど鬱陶しいくらい絡んでいたのに、急に何もなしですかっていうのはあまりに素っ気ないし。ちょっとだけ。ね。ちょっとだけです。」とコメント。終生のライバルへの思いを控えめに吐露した。

本ランキングの第9位にランクインしている飯伏幸太のところに神と崇める人物が2名いると記載していることを覚えているだろうか?

一人は棚橋。そしてもう一人というのは実は中邑のことだ。
飯伏の新技カミゴェは中邑のボマイェから肖った技名で、最近の飯伏は膝蹴りを放つ際に中邑の滾りポーズを真似している。退団からもうすぐで4年が経過しようとしているが今でもその存在は新日本プロレスファンの中に大きなものとして残っている。

後書き

デビュー20周年を迎えた棚橋。

これから先、21周年、22周年…とまだまだ棚橋のストーリーは続いていく。
そのどこかで再び中邑真輔と交わる日が必ず訪れることを棚橋信者である筆者は信じている。

前のページ用語解説・補足説明

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